T将は常務で調査畑経験が長く、当時の銀行エコノミストの代表格。
ほどなくNに呼ばれたTは次の人事異動かなと思った。
その予感は当たったが、異動先が違った。
「N銀任命委員に君を推薦したいんだが」。
まさに青天の霹靂。
だが頭取直々の話だけに、Tは身を引き締め、「赤紙が来た思い。
頭取に託します」と答えた。
Nから連絡を受けたFにも、銀行エコノミストとして知られていたTの起用に異存はなかった。
TはKがN銀との間で設けてきた複数の勉強会に出席する常連メンバーでもあった。
当時理事で後に副総裁となるY泰とも顔なじみ。
Yも「Tさんなら」と異論はなかった。
「公の仕事」への一種の思いがTの胸の内にはあった。
「権力を背景とした政府の仕事はあまり好きではないが、Cの背景にあるのは権力ではなく権威。
やりがいがあるかもしれない」。
T自身、とかく世間から批判されがちなN銀の過去の金融政策にも比較的好意的だった。
父が裁判官、祖父は検事という法曹一家の生まれ。
五人兄弟だが、T以外は女性ばかり。
戦後の廃虚の中で、日常的な飢えと、進駐してきた米軍の圧倒的な力との対比を味わったT少年は、子供心に「経済人になって、いつか米国を見返してやりたい」と思ったという。
もう一つの地銀代表のポストも同時期に、有力候補が浮上した。
H銀行会長のF恭輔。
だが、七十歳のFの年齢に対して「高齢過ぎる」との不満が政界から出て、結局、こちらは白紙撤回に。
武冨の人事は新N銀法が国会で成立した六日後の閣議で了承されたが、地銀枠は埋まらないまま、新法の審議委員任命を待つことになった。
新法に基づく審議委員候補として、Fの脳裏に真っ先に浮かんだのが、T大教授のU和男。
T大の理学部数学科を卒業した後、経済学部(U沢ゼミ)に転じた理論経済学の逸材だ。
Uは小学五年生のころから、ノーベル賞受賞の湯川秀樹に憧れ、将来は学者になりたいと思っていたと明かす。
小学校時代にすでに湯川の本も読みふけっていた。
従って「平等主義」の小学校の授業は物足りない。
ある日、担任の先生に「もう少し難しいことを教えてほしい」と不満を漏らした。
先生はUの聡明な目を見つめて、「それは自分でやりなさい」。
そしてUは自分で勉強した。
なるべくして大学教授になったUは、日本中がバブルに浮かれていた八八年秋、「日本の株価は高すぎるかどうか」とのリポートを発表、〃根拠なき熱狂〃を指摘した慧眼の持ち主でもある。
金融政策っては、九一年から九三年にかけて、学界で「I・翁論争」が展開された。
Uはこの論争の裁を巡っては、九一定者でもあった。
この論争は、当時、J大教授(後にG大)のI規久男が提起した。
Iは、バブルとその後のバブル崩壊後の景気低迷の原因がN銀の金融政策にあるとして、金融政策の軸足を伝統的な金利政策からマネタリーベースの操作に変更すべきと主張した。
マネタリーベースはN銀が供給する現金通貨と、民間銀行がN銀に積み立てる当座預金残高の合計でベースマネーとも呼ぶ。
これに対して当時、N銀金融研究所のエコノミスト(後に所長)だった翁邦雄が、N銀は短期金融市場での金利操作を通じてマネーサプライを実現していくとする「N銀理論」を展開して反論した。
マネーサプライは経済全体に供給されている通貨の総量で、通常は現金などのほか銀行の定期預金(準通貨)やCD(譲渡性預金)の合計(M+CD)で表される。
これが増えると経済活動が活発ということになる。
Uの「裁定」は、短期的にはマネタリーベースによるマネーサプライのコントロールは不可能だが、中長期的には可能との趣旨だった。
実はこの論争の当否は、Uも政策決定に加わった新法下の政策委員会で実証的に検証されることになる。
第六章で見るように、N銀はゼロ金利政策で金利政策の限界に突き当たった後、量的緩和策に切り替えるが、これはまさに翁理論からI理論に乗り換えたとの見方もできる。
その成果の検証は本書のテーマの一つになる。
Fは、自らが目指す「セントラルバンクポリシーの形成」のためにも、理論に強い人材が必要と確信していた。
米連邦準備理事会(FRB)、英C(BOE)などを見ても、レベルの高い議論を展開しており、各国のCの注目を集めている。
N銀もそうした「尊敬されるC」の一つになりたい・Fに限らず、新法施行を控えたN銀マンがそう考えても不思議はない。
旧法時代のN銀は、大蔵省や政治の圧力などで、時に裁量的な金融政策運営に陥った例が少なくなかった。
一九七○年代初めの狂乱物価時代や、八○年代後半のバブル経済時などだ。
こうした過去の失敗を繰り返さないためには、法的な独立性だけでなく、市場を納得させる理論面からの支えが必要となる。
Uは九六年に一年間、N銀調査統計局に在籍したことがある。
大学のサバティカル(有給休暇)制度を活用したもので、この時の経験で、N銀の内情にもある程度の理解があった。
だが、Fの申し出に逢巡した。
金利はすでに無担保コールレート翌日物が○・四○・五%で公定歩合と同水準。
「冷静に考えたら、こういう水準で(政策責任を負うと)危ないということはわかっていた。
その一方でやってみたいという好奇心も強かった」Uが逢巡した「○・五からの出発」は、Uだけでなく、N銀政策委員会全体を縛るもので、新法施行後の金融政策の原点でもあった。
しかし、第七章で紹介する米FRBリポートのように、N銀の金融政策はこの時点で、すでに効果を失っていたとの分析もある。
逢巡のもう一つの理由は、審議委員は兼職禁止で、大学を退職しなければならない点だった。
さらに任期の問題もあった。
審議委員は任期五年。
ただ、新法施行時に選任された審議委員が、全員五年後に新しい人に入れ替わるのは、政策運営の継続性としてあまり望ましくない。
そこで、政府・N銀は、新法施行当初の措置として、年齢の若い審議委員は再任含みで当初一年あるいは三年とし、それ以外の年長委員は「再任無しで四年」という具合に任期に差をつける運用上の工夫を付けることにしたのである。
Uは法施行時で審議委員の中で最年少の四十七歳。
このため、一番短い一年で任期が来る。
約束通り再任されれば通算七年の任期だが、この任期の運用措置は法律に明記してはおらず、あくまでも運用旧法の任命委員人事が国会の難色でなかなか決まらなかった経緯を見てもわかるように、政治情勢次第では、再任人事が宙に浮くリスクもある。
そうなると一年で他に職を求めざるを得ない。
Uほどの学者としての経歴があれば、海外を含め大学で新たにポストを得ることは難しくはないが、少なくも母校のT大には直ちには戻れない。
「正直、不安だった。
それでも結局、好奇心が勝ったというか」。
一ヵ月の逢巡の後にUはFの申し出を受けた。
上の措置でしかない。
Fのバランス感覚は定評がある。
それも単純な守りではない。
「I・翁論争」で、翁がN銀理論を代表したように、N銀には金融研究所や調査統計局を中心に約二百人のエコノミストや研究者が集まる。
その頭上を越えて政策決定権を持つ審議委員にT大の現役教授を迎えるのは、「N銀理論」を内部から揺さぶることでもある。
一方で、いかに優秀でも同じ意見の人ばかり集まると、議論にならない。
屋上緑化 効果の一環として捉えましょう。実用性を追求した屋上緑化 効果です。
屋上緑化 効果が一般的になってきました 。屋上緑化 効果の情報をお知らせします。
今や屋上緑化 効果の真髄を極めてみませんか?屋上緑化 効果で掴める掴める夢があります。
オンリーワンの屋上緑化 植物の購入関心度が高まっています。屋上緑化 植物をすばやく探せます。
屋上緑化 植物を使ってみましょう。一つ上の屋上緑化 植物をしたい人必見です
屋上緑化 植物をご用意しております。屋上緑化 植物と健康について説明致します。
屋上緑化 屋根の登場です。インパクトのある屋上緑化 屋根です。
屋上緑化 屋根の最安価格が変動しています。この春は屋上緑化 屋根で盛り上がりましょう!
屋上緑化 屋根製作を承ります。屋上緑化 屋根は常に前進しています。
屋上緑化の内容、屋上緑化の理由、意義などをよくわかるように述べてみましょう。
屋上緑化がオススメです!秋葉原でしか手に入らない屋上緑化です。
今屋上緑化の底値を徹底比較しました。デザインが豊富な屋上緑化です。
屋上緑化 芝生は今や欠かせないサービスの1つです。業者向けの屋上緑化 芝生サービスです。
ターゲットに応じた屋上緑化 芝生のルーツに迫ります。屋上緑化 芝生のクチコミ情報を求めています。
屋上緑化 芝生の真髄を極めてみませんか?一つ上の屋上緑化 芝生をしたい人必見です
屋上緑化 東京は現代社会で重宝しています。屋上緑化 東京は女の子の永遠のテーマです。
幅広い分野の屋上緑化 東京の適正化を 図ります。費用対効果の高い屋上緑化 東京です。
存在感のある屋上緑化 東京のコツをつかむためのサイトです。あなたに合った条件で屋上緑化 東京をサポートします。